2016-03

読書エッセイ 文字の海を泳ぐ ブログ連載 第二十回 ティーンズノベル

 月二回のペースで続けてきたこの連載も、ついに今回で最後となる。毎回、含蓄があるんだかないんだかわからない(おそらく、まったくない)、デタラメなエッセイにお付き合いいただけたこと、心より御礼申し上げる。ありがとうございました。
 最終回のテーマとして選んだのは、「ティーンズノベル」である。これまでもたびたび触れてきた内容ではある。つまり、それほど、たびたび触れなければならぬほど、私の読書と、そして創作活動に、このティーンズノベルの存在は欠かせないものなのだ。
 私がティーンズノベルを「主食」としていたのは、小学五年生から高校二年生くらいまでの、およそ七年間。あのころの私は、テレビの中のアイドルより、クラスの中のカッコイイ男の子より、ティーンズノベルの中で感じられる「魂の揺れ」に夢中だった。
 読んでいたティーンズノベルは主に、講談社ティーンズハート及びホワイトハート、集英社コバルト文庫だ。角川富士見ファンタジアや電撃文庫も読んだけれど、こちらはティーンズノベルとは呼ばず、ライトノベルというくくりにしか入らないであろう。
 これらのレーベルから出されていたティーンズノベルの、一体何が私を惹きつけ、揺さぶっていたのかということについては、実はあまり明確には語るつもりがない。あれは「あのころの私」だけが体感できた「揺れ」なのだと信じているし、他の誰とも共有できないものだという確信がある。それは、たとえ「今の私」であっても。
 今になって思い返してみれば、夢中で読んだティーンズノベルの中には、(大変失礼ではあるが)どうしてこれが出版されて金銭と交換されていたか、と思ってしまうようなレベルの文章と内容のものが多々あった。けれど、そんなことを脇にのけてでも読まずにはおられなくさせるような、読んだ後のため息が、中学生のものなのにちょっと色っぽくなってしまうような、そんな力が、間違いなく、あれらの本にはあった。どんな名作も、この揺れと色っぽいため息についてはティーンズノベルに勝つことはできないと思う。少なくとも、あのころの私にとっては。
 もちろん、ティーンズノベルであっても(という言い方は嫌なのだが)、素晴らしい文章とストーリー構成をされる方はたくさんいらっしゃって、そのウチの何名かの作品はティーンを卒業して久しい今でも、ずっと、読み続けている。
 もう二度と味わうことができないであろう、「揺れ」の記憶を大切に抱いて、私は、今度は自分が「色っぽいため息を誰かにつかせる」ことを目指している。

 きっと、いや、間違いなく、私はこれから死ぬまで、読むということをやめないだろう。やめたいと思うかどうかも疑わしく、やめたいと思ってやめられるかどうかも怪しい。そんな読書生活の中で、またこうしてエッセイになるような種を見つけられたら幸せである。二十回の連載を続けさせていただくことができ、誠に嬉しく思う。これからもどうぞ皆さま、素晴らしい読書生活をお過ごしいただきたい。

読書エッセイ 文字の海を泳ぐ ブログ連載 第十九回 文豪

 つばめ綺譚社五周年記念の期間限定、と銘打って始められたこの読書エッセイのブログ連載も、今回を含めて残すところあと二回となった。回が進むごとに、とりとめのなさというか、好き勝手に書いている様子があらわになっておりお恥ずかしい次第だが、もうしばらく、お付き合い願いたい。
 今回は、テーマを「文豪」とした。文豪、と聞いてまず思い浮かぶのはどの名前であろうか。夏目漱石?森鴎外?芥川龍之介?ドストエフスキー?トルストイ?今挙げた五人は、作品を読んだことがあるかどうかはともかくとして、誰もが名前を聞いたことがあるであろう。……そう、作品を読んだことがあるかどうかはともかくとして。
 読書好き、活字中毒を自負している人であっても、文豪と呼ばれる作家の作品をひとつも読んだことがない、という方は多いらしく、私の知人・友人で考えてみても確かに、少なくはない人数がそうである。それを、嘆かわしい、と言ってしまうのはどうにも上から物を言っているようで嫌だが、寂しいことだ、とは思う。
 では、なぜ、読書が好きな人であっても文豪の作品を避けて通るのだろう。理由としてもっとも多く挙げられるだろうと予想されるのは、「難しそうだから」である。何十年も、あるいは百年以上も読み継がれ、売れ続け、名を残している作品なのだから、きっと良いのだろうとは思う、思うけれど、開いてみたときのあの文字の羅列の雰囲気は、いつも読んでいる現代小説やライトノベルとは明らかに違う……、だから尻込みしてしまう……、というようなところだろうか。
 確かに、普段は使わない、それどころか見たこともないような熟語がたくさん使われ、あらすじを読んでもどんなストーリーなのかいまひとつわからず、変な口調や奇抜な恰好で個性を見せるような登場人物はほとんど出てこない、となれば、敬遠したくなる気持ちもわかる。
 だが、難しい熟語や引用部分には必ず注釈がついている(発表当時の古書をわざわざ選べば話は別だが)し、あらすじを読んでわからないということは、それだけでまとめることが不可能な込み入ったストーリーがあるということなのだから全編を読み通せばいいし、変な口調や奇抜な恰好だけが個性だと思っているのならそれはそもそも大間違いだ。
 つまり、文豪の作品を避けて通ろうとする理由は正確には「難しそうだから」ではなく「〝難しそう〟という問題点を乗り越える手順が面倒だから」なのである。わざわざ注釈のページを参照しながら読むのも、すぐには先の見えてこないストーリーを追うのも、確かに億劫ではある。けれど、その手順を面倒がって素晴らしい作品を味わう機会を逃しているのは、非常にもったいないことであると思う。
 と、いうようなことをいくら切々と書いたところで、読む人は読むし、読まない人は読まない。これだけのことを書いておきながら、私も敬愛する漱石の作品をまだ全作品の三分の一程度しか読めていないのであるから、活字中毒の先輩方には笑われてしかるべきである。
 まだまだ読めていないものがたくさんある、というのは情けないことではあるが、これからまだ素晴らしい作品を読むことができる、と思えばそれは喜びでしかない。なんせ、相手は何十年も、あるいは百年以上も読み継がれ、売れ続けてきた名作だ。きっと良いに違いない。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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