2016-02

読書エッセイ 文字の海を泳ぐ ブログ連載 第十八回 時と場合

 いつ、どこで、どのようにするのがもっとも読書にふさわしいのか、いまだにわからない。
 この場所でなければ、こういう状況でなければ、読書はできない!というようなこだわりは、ほぼ持ち合わせていない人間である。いつだってどこだって本は読める。だからこそ、いつどこでするのが読書にはもっともよいのか、ということになると、容易には答えを出せない。
 洒落た静かな喫茶店で、美味しいコーヒーを飲みながら、ゆっくりとページをめくる、というのが理想ではある。年に何回か、わざわざそういう場所で読書の時間を取ることもある。だが、「ではそれが読書にもっともふさわしい環境なのか」と訊かれると、いや、それはどうだろう、とも思ってしまう。自宅の南向きの窓の下にできた陽だまりに身をひたして没頭する読書もたまらなく甘美だし、布団にぬくぬくとくるまって本を開くのも幸せだ。私はたまにしかやらないが風呂に持ち込むのも好きだし、遠出する際の新幹線の車内や日々の通勤電車の中でも喜んで読む(ただし車酔いするのでバスは無理)。
 こうして時と場合を並べ立ててゆくと、どうにも「こうするのが一番だ!」と言えなくなってきてしまうのだ。どんな場所でもどんな時でも、持っていればつい開いて読みだしてしまうもの。それが活字中毒にとっての本だ。この、「つい開いて読みだしてしまう」がなかなか困りものだということは、どなたさまも想像に難くないであろう。たとえば、天気の良い休日に、部屋の掃除をしようと決めたとき。大量に本棚に押し込められ、さらには本棚の前に積み上がった本を片付けようとなどしたら!もうおしまい!「つい開く」という行為が牙を剥く。一度読んだ本であるのに、とかそんなことは関係なく、ついつい読みふけってしまい、気が付いたときには掃除など少しも進まぬまま日が暮れている。年末の大掃除のときなどにそれをやらかしてしまったときの、後悔を通り越した絶望感はもう、物凄い。時と場合を考えろ!と自分に怒鳴ってしまいたくなる。けれども、そうした読むべきでない時に読んだ本に限って「物凄く良いものを読んだ!」という気がしてしまったりもするのだ。まったく、活字中毒者とは愚かな生き物である。
 もっと人を呆れさせるのが、朝、出かける前、という百パーセント時間がないというときにすら本を開いてしまうことがある、という、にわかには信じがたい愚行の歴史である。これは主に高校生の頃に多かった。昨夜ギリギリまで読んでいた本を、朝またギリギリに起きているにもかかわらず、布団の上で開いてしまう。結果、自転車を全力疾走させて登校する羽目になり、ギリギリセーフ。ときにはアウト、遅刻決定。まったく、阿呆としか言いようがない。
 このような愚かさを軽減させるためにも、読書をするべき時と場合はある程度決めておいた方が良いのだろう。そうは思いつつも……、私は今日も片付け途中の部屋の中で本を開いてしまう。

読書エッセイ 文字の海を泳ぐ ブログ連載 第十七回 読書仲間

 読書とは基本的に、ひとりでするものである。子どもへの読み聞かせなどは別にして、ひとつの本を同時に複数のもので覗き込んで読む、なんてことをしたことのある人は、おそらくいないであろう。そうであっても、読書経験を共有することはできる。本連載でも募集させていただいた、おすすめをいただくという方法もそのひとつであろう。そのおすすめを、年中、ひっきりなしにして本に関する情報交換や論議を取り交わすような「読書仲間」というものについて、今回は少し書かせていただきたいと思う。
 読書という「ひとりで書物の世界を飲み込む素晴らしい行為」を、共有するだなんて勿体ない、邪道だ、読書への冒涜だ、という方もおられるかもしれない。その気持ちもよくわかる。読書はひとりでいられる最高の手段であると同時に、ひとりなのに世界の一部になれる稀有な行為だ。
 だが、私の読書経験において「読書仲間」は実に重要な位置を占めているのである。もともと好きであった読書に、さらにのめり込むようになったのは、この「読書仲間」によるところが大きい。
 私にとっての初めての読書仲間は、小学五、六年生の頃に仲良くしていたマユちゃんとナホちゃんである。毎週土曜日、三人連れだって近所の市立図書館へ行くのがお約束だった。待ち合わせは午後一時、図書館のある公園の噴水の前。ふたりとも、私よりはるかに大人びていて、賢く、本もたくさん読んでいた。私が本を読む理由はもちろん本が好きだったからだが、彼女たちに少しでも追いつきたいという思いも、その当時は強かったように思う。彼女たちがすでに読んだ本を追いかけるばかりでなく、新たな本を自分から発掘しておすすめすることで対等な関係を築こうとしていた。
 そうして読書量を増やした私は、中学に上がってから、新たに読書仲間を得た。マユちゃんとナホちゃんとの仲が悪くなったわけではない。単に、クラスも部活も別々になって話したり遊んだりする機会が減っただけである。ローティーンの友人関係には、ままあることだ。今度の読書仲間の間では、私がマユちゃんやナホちゃんの立ち位置にいた。ティーンズノベルのめぼしいシリーズを、こぞって読みつくしていくその先頭に、私は間違いなく立っていた。驚くほどに優越感はなく、ただ、物語の世界について語り合えることが嬉しくてたまらなかった。
 このような読書仲間に囲まれていたからこそ、私は読書を続けてきたのかもしれない、と思うこともあり、それはおそらく一因であるだろう。だけれども、ふと気が付くとその読書仲間たちがいつの間にか姿を消している、ということも、何度も経験している。彼女たち自体とは、今も付き合いがある方が多いし、仲良くもしているが、今も昔も熱心に読書をし続けている方は、ごく少数だ。寂しくはあるが、そういうものかな、とも思う。年を重ねれば、読書という「生きてゆくにはあってもなくてもいいもの」は後回しになるものだし、後回しにし続ければもちろん、本を読む習慣は薄れてゆく。そして皆言うのだ、「本か、昔はたくさん読んだものだなあ」と。
 そういう寂しさを感じていたときに、ツイッターやブログで「本の話ができる」ということを知った。今月出たあの本が、とか、ようやくこのシリーズを読み始めた、なんていう呟きが流れてくると安心した。ああ、世の中には、まだまだたくさん、本を読む人たちがいるのだなあ、と思うと嬉しくなった。
 これまでの読書仲間も、これからの読書仲間も、私の読書経験に欠かせない人たちである。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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