2016-01

読書エッセイ 文字の海を泳ぐ ブログ連載 第十六回 再読

 私は、今も昔も乱読タイプである。
 ジャンルにこだわらずなんでも読む、というのは常々申し上げていることだが、これがまず乱読に走る要因であろう。
 無節操な乱読には驚くほど一貫性がない。流行のベストセラーにすぐ飛びつくというわけでもなければ、名作と呼ばれる作品を網羅しているわけでもなく、崇拝している作者の作品ですら読んだことがないものもある、という具合である。
 要するに、目についたもの、気になったものをそのときどきの気分で紐解いているわけで、私が自分自身の読書を「趣味の域から出られていない」と自覚している所以もこのあたりにある。
 そう。読書を学問の領域に置くには、再読がなければならないのだ。
 もちろん、再読の経験が皆無だというわけではない。曲がりなりにも、文学部国文学科に在籍していたことがある身である。テクストの熟読・熟考は欠かすことのできない手順である。むしろそれがすべてだと言っても過言ではない。
 だが、それは熟読・熟考した先にゼミ発表やレポート、卒論が待っていたからこそできたことなのだ、というのは、大学を卒業してから実感している。
 大学へ入る前の乱読状態にあっという間に戻ってしまったのである。
 繰り返し読むことの素晴らしさも重要さもわかっている。再読したいと思う本は山ほどある。だけれども新しい話が読みたいという欲望に勝てないのだ。
 再読を逃してまた、読んだことのない本へ手を伸ばすたびに思う。ああ、一日中、一年中、一生、本を読むことに時間を使えたならば、どれだけでも再読ができようものを、と。
 そんなことは不可能であるし、よしんば、本当に一生読むことに時間を使えるとしたところで、乱読の姿勢が治らないかぎりは再読に踏み込むことはできないであろう。
 乱読の姿勢を再読に傾けるにはどうしたらよいのか。それをご存じの方は是非とも、是非とも、ご教授いただきたいと願うのだが、治らないまでもふっと再読できるときが、実はある。
 作品の映像化が決まったときである。
 小説と映像化の関係性についての考えは第五回の「原作」で少し述べているが、私は原作を先に読むのも映像を先に観るのもどちらにも楽しみがあると思っている。
 ただし、ではどちらを先にしようか、などと迷うことができるのは、原作の映像化が決まった時点でまだ原作を読んだことがなかった場合に限られる。映像化よりもはるかに先に読んでしまっていた作品については、映像を後に見るしかない。
 けれども、はるかに前に読んでしまっている作品だからこそ、映像化を機会に読み返してみようか、という気持ちが起きるのである。最近、その映像化がきっかけで再読した例は、有川浩『図書館戦争』がまず挙がるだろうか。本当にごくごく最近のことであるが、年始のスペシャルドラマが放映されたのを機に夏目漱石『坊ちゃん』も久しぶりに再読した。
 再読の目的は、原作と映像の表現の差を比較するためでもあれば、単にあらすじを思い出しておきたいだけのこともあるが、どの場合においてもまず間違いなく、初回とは違う発見があるし、初回よりも詳しくテクストに当たることができる。
 そして、ああやはり再読はするものだなあ、と思うのである。
 それなのに、次の日にはまた、新顔の書籍に手が伸びている。まったく、どうにかならないものか。

文字の海を泳ぐ ブログ連載第十五回 ミステリ

 年が改まって早十日。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げる。……と言いながら、まずは十三回目にして大幅に連載の更新が遅れてしまったことについてお詫びしなければならない。新年早々、情けないことである。誠に申し訳なく、陳謝致すところである。(エッセイの文体に合わせているためではあるが、「である調」ではイマイチ謝っている感じが伝わらない気がしてしまう。やはり謝罪と御礼は「ですます調」がふさわしい。申し訳ありませんでした)

 さて。今回のテーマは「ミステリ」である。
 ミステリを楽しむ、すなわち、ミステリの魅力とは一体何であろうか。私のようなものが訳知り顔で語るのは非常に赤面ものであるのだが、未熟な一個人の意見として捉えていただければ幸いである。
 私が魅力と考えているのは「非現実感」である。近頃は「日常に起こりうる謎を解き明かすタイプのミステリ」がちょっとした流行であるが、それにしたって、非現実感はぬぐえない。謎自体は「起こりうる」だろうが、その謎を華麗に解決、なんてことはそうそう「起こりえない」。ファンタジーやSFなどとは一線を画した、起こりそうでいて起こらない、という絶妙な「非現実感」。
 ただ、このタイプの「非現実感」をコンスタントに感じ続けているのが私にとっては難しいことであるようなのだ。ミステリの中核をなす謎を自らでも解こうとして頭を使う所為であろうか、続けて読んでいると疲れてしまう(解こうとするわりに、その成功率は非常に低いのであるが)。ミステリは大好きだが、「ミステリ愛好家です」というところまで堂々と言い切ることができないのは、このあたりに理由がある。
よって、私のミステリジャンルの読書録は、非常に中途半端だ。特に顕著に表れているのが、ミステリ愛好家を名乗るのであれば必須と言うべきタイトル。古典ミステリ不動の金字塔であるシャーロック・ホームズのシリーズも半分くらいしか読んでいないし、アガサ・クリスティーも数冊だけ。エラリイ・クイーンはなぜか一冊だけ。カーやヴァン・ダイン、横溝正史には手を出したこともない。江戸川乱歩の少年探偵シリーズは十冊ほど読んでいるはずだが、乱歩のペンネームの由来となったことで有名なポオの方はというと、小学生のころに無理やり読んだが理解できなかった、という記憶だけが残っている。……とまあ、こんな調子で、極めてポンコツなのである。
 疲れてしまうため続けて読むことができない、という理由に加えて、連載第三回の「読んでない本」に書いたことと重なってくるようではあるが、今更改めて手を出しづらくなっている、というのはある。そんな理由で読まないままなのは実にもったいないことだということも、重々承知しているので、今年こそ、腰を据えて読みたいものだと思っている。
 私よりもはるかにたくさんミステリを読まれているであろうミステリ愛好家の皆さま、こんなポンコツ読者に、何かオススメの楽しみ方があれば、ご教授いただきたいものと思う。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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