2015-10

暇を持て余してるわけじゃないけど原作者の遊び

ふざけたタイトルでごめんなさい(笑)
こんにちは。急激に寒くなって参りましたねえ。
ここのところ、読書エッセイでしか更新ができておりませんが、それなりにいろいろお知らせしたいことはあるんでございますよ、実は・・・。
ですが今回はそのお知らせ、もう少し後回しにさせていただいて、珍しく「自作の登場人物たちで遊びました」という内容でございます。
紺堂カヤの代表作『口笛、東風となりて君を寿ぐ』の登場人物たちが、現代にいたら、という、いわゆる「現パロ」というもので遊んでみました。別にハロウィンだから、ってわけではないんですけどね?(笑)
イラスト担当であるキラ氏とやりとりしていて、結構、盛り上がってしまったので、先日、ツイッターにて流させていただいたのです。調子こいて流したら結構な量になったので、いっそのことまとめるか、と思ってブログに上げさせていただくことにしました。ツイッターに流したものをほぼそのまま張り付けてあるだけですので、140字区切りになってますがご勘弁ください!(笑)
本編をお読みでない方もいらっしゃるでしょうし、興味のある方のみ楽しんでいただけたらと思いますので、追記に折りたたんであります。ご覧いただける方は「Read more」をクリックしてくださいませ。
なお、本編のネタバレになるような内容ではないはずですが、ご心配な方はお控えください。また、キャラが著しく崩壊していることもございますので、本編のイメージを大切にされたい方はご注意ください・・・。
そんな感じで!
楽しんでいただけたら幸いです!

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文字の海を泳ぐ ブログ連載第十回 物語の舞台へ

 聖地巡礼、と呼ぶそうである。
 小説や漫画、映画、アニメーションなどの作品において、物語の舞台やモデルになった場所へ実際に赴くことだ。
 もちろんこの聖地巡礼という言葉、本来の意味は宗教において重要な地を参拝してまわることである。その言葉が上記のような意味で市民権を得ているのを見ると、信仰心と物語との関係性の深さについて改めて考えさせられる。……が、私はそのことについて論じたいわけではない。私自身が行ったことのある、物語の舞台を、少しご紹介しようかと思うのである。
 私が物語の舞台を見に行く、という目的を大々的に掲げて旅行をしたのは、大きく分けて二回だ。ひとつは、卒論の題材にもさせていただいた、小野不由美『東亰異聞』の舞台を巡った「東京を歩き倒す旅」。もうひとつは、『三国志演義』のクライマックスまでを駆け上がる「中国・諸葛孔明北伐の道を辿る旅」である。このふたつ、実に正反対な色合いの旅であった。正反対でいて、どちらも私にとって非常に有意義で素晴らしい旅になった。今回はこのふたつのうち、中国へ行った時のことを書かせていただくこととする。三国志を「作品」と見るか「歴史」と見るかは人それぞれであろうが、今回私は特にこの二つの側面を区別せず「物語」と取ることにしたい。
 この「中国・諸葛孔明北伐の道を辿る旅」、実は、出発前の私の盛り上がり方は、さほどのものではなかった。もちろん楽しみにはしていたが、海外旅行に行くにしては随分と落ち着いていたといえる。なぜなら、私は三国の中では最も呉を好んでいるので、北伐のルートよりは赤壁を見に行きたかったのである。だが、中国文学の教授主催のツアーに参加するという方式であったこの旅の行く先は、すでに定められていたため、致し方なかったわけだ。
 さて、諸葛孔明の北伐ルートを辿るわけなので、四川省成都を出発し、五丈原で終る、という旅だ。全九日間の日程であった。三国志ファンには大変有名なポイントを巡ったのだが、実は一般的な観光ルートからは外れている、大変な田舎ばかりを訪ねる旅であった。舗装されておらず、幅も狭い道を大型のバスでゴトゴトと進み(本当にひやひやした)、駐車場とは呼べないような空地でバスをおりる、ということも多々あった。強く印象に残っているのは、街亭の戦いで有名な斜谷道(いわゆる蜀の桟道)と、諸葛孔明の最期の地、五丈原である。
 蜀の桟道の「えっここを通ったわけ!?」という怖さ。広大なる五丈原を吹き抜ける風の香り。そこが、文明が控えめにしか存在しない田舎であったからこそ、単なる物語の中のこと、歴史上の古い古いできごと、というようには、とても受け取れなかった。その上、成都から五丈原までの道のりの長さといったら!要所に逐一立ち寄ったとはいえ、我々の移動手段はバスだ。要するに自動車だ。その文明の利器たる自動車を使ってですら、「遠い!」「長い!」と思ったのだから、当時の苦労はもはや言うまでもないであろう。そうであっても戦いに行かねばならぬ、という思いの強さ。『三国志演義』を読んだときにも胸を打たれたはずのこの思いの、本当の強さを、この行程で初めてわかったように思った。
 その道行の果て、五丈原。今は何もない五丈原を埋め尽くしていたであろう、いにしえの兵士たち。そのひとりひとりは、何を思って鎧を着ていたのだろう。彼らを指揮した武将たちや、軍師・諸葛孔明は、どんな眼差しでこの地を見渡したのだろう。想像するしかないはずの、その心情や光景が、妙にリアルに私の頭に叩き込まれた。これが「その場に立つ」ということか、と思った。
出発前はさほど盛り上がっていなかった、などとのたまっていた紺堂であるが、終わってみれば、この旅行は実に得難きを得たといえる。物語の舞台へ行く、という意味を、正しく味わって来られたのであろう。
 なお、諸葛孔明の北伐を辿るツアー、というものを組んでいる旅行会社はそこそこあるようである。今回、田舎であることのプラスの面を押し出した書き方をさせていただいたが、田舎で体験するのは感動ばかりではない。どんな体験をしたのかについては、文学と関係がない部分になるので、今回はあえて何も書かずにおく。気になる方は是非、実際に北伐していただきたい。

文字の海を泳ぐ ブログ連載第九回 漫画

 漫画。
 文学の次に、私を没頭させたものである。
 漫画の存在がなければ、今ほど文学を愛すに至らなかったかもしれない、と思うほどだ。
 読書エッセイ、にテーマとして選んでいるわけなので、今回私は、漫画を読むことも読書だという解釈をしているのだが、漫画を読書の範疇に含めるかどうかについては、意見が分かれることであろう。
 活字中毒の方は、「漫画も好きでたくさん読むタイプ」と、「漫画は一切読まないタイプ」に分けることができると思う。
 私は前者であるが、漫画を読書に含めることについて躊躇いがないわけではない。「読書をする」と言うと、とは小説や評論など、すなわち活字のみが並んでいる書籍を読むことを指すのだと自然にイメージしてしまうのだ。
 現在、紺堂が利用している、図書記録のウェブサービス「ブクログ」においても、漫画の登録はほとんど、していない(ブクログのシステム上は、漫画も雑誌も映像メディアも検索・登録できるようになっている)。理由として説明できるほどのものもなく、巻数の多い漫画をいちいち登録するのは面倒だというくらいのことである。
 とまあ、ここまでの、論旨のよくわからない記述内容でだいたい予想をつけていただけたであろうと思うが、私にとって、漫画は小説や評論などの書籍に次ぐもの、という位置づけなのである。
 それは漫画を軽視してのことでは決してない。ただ、文学の上をいくものが私の中にはないというだけのことである。
 さて。
 文学ほどではないが、私は漫画がとても好きだし、それなりに量は読んでいるものと思っている。
 たくさん、とは言えない。それなりに、だ。
 世の中には「活字のみの書籍は読まないけれど、漫画は読む」という方がかなりの数おられて、その中には膨大な量の漫画を読みに読んでいる、という方も少なくないのだと承知している。そういう方々と私などとを比べることはできない。
 そうではあっても、私にとって、漫画というのは非常に重要な位置を占めている。冒頭で「漫画の存在がなければ、今ほど文学を愛すに至らなかったかもしれない」と述べたが、決して大げさな話ではない。
 何かひとつ、大きなきっかけがあってということではなく、私と文学との関わりにおけるあらゆる場面で、密接に結びついているものであるが、その中でも影響具合が突出している作品をひとつ、挙げておきたいと思う。
 藤崎竜『封神演義』である。
 奇抜なキャラクターデザインや思い切ったストーリー展開が素晴らしく、夢中になって読んだ。それだけなら、他の漫画でもよかったところであるが、なぜこの作品が私に衝撃や影響を与えたかというと、この作品が中国四大奇書のひとつである『封神演義』を漫画化したものである、という点に由来している。
 『封神演義』の大筋をほぼ変えることなく、かといって忠実に描いているわけでもない、という絶妙なバランスで漫画化されていたのだ。それは子ども心にもその凄さがわかるほどであった。ただ驚くばかりでなく、畏敬のようなものを感じた。
 藤崎竜はこの作品によってそれまで『西遊記』や『水滸伝』に比べて知名度も評価も低かった『封神演義』の地位を押し上げたのではないかとすら思っているわけだが、それはともかく、私はこの漫画における、原作への敬意とオリジナリティの絶妙なバランスに感服したのである。この漫画と同じ表現が、文章のみで成し得たかどうか、非常に疑わしいところだと思う。
 そういうわけで、私は文学に次ぐ存在と位置づけつつも、文学とは違うベクトルの可能性を漫画に見出し、読むことを楽しんでいるという点では文学と同じ扱いをしているのである。
 ちなみにこの『封神演義』、エッセイを書きながらとてもとても読み直したくなっているところなのだが、当時友だちに借りながら読んだため、私の手元には10巻までしか揃っていない、という中途半端なオチがつく。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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