文字の海を泳ぐ ブログ連載第八回 ジャンル
本にしろ、映画にしろ、ゲームにしろ、ジャンル分けというのは便利なものである。自分が気に入るのかどうか、なんとなく嗅ぎ分けられ、苦手なものを手に取ってしまうリスクを減らすことができる。
だが、便利であると同時に厄介なものでもある。世の中には、そうハッキリとジャンル分けのできない作品もあるのだ。
それは私がつばめ綺譚社にて出している作品にも言えることで、「どんな話ですか」という質問に対して一言でジャンルを説明できなかったりする。それでもなんとかジャンルに分けているわけだが、読む側に立ったときにジャンル分けに惑わされた経験があるため、はたしてこのジャンル分けは正しいのだろうか、と自分の作品でありながらいつまでも迷ってしまう。
惑わされた経験、というのはどういうことかというと。
本格ミステリー、というジャンル表記があった作品を「久々だな、本格ミステリー!事件!謎!探偵!」とわくわくしながら読んでみたところ、殺人事件のひとつも起きずに終わってしまった、というようなこと等である。
確かに、内容はミステリーであった。それは間違いない。しかし「本格ミステリー」ではなかったと思う……、もしかして私の考える「本格ミステリー」は世の中で認知されている「本格ミステリー」というジャンルとズレているのだろうか……、と、ひとしきり首をひねったのである。期待していたものではなかったが、作品自体はとても良いものだったので、こんなことならいっそ、ジャンルなどで判断せず先入観ゼロで読んだならばもっと楽しめたのではないだろうか、と残念に思った。
こうしたズレをできるだけ少なくしよう、と、ジャンルを定める側が努力しているのだな、と思えるのは、やけに長いジャンル名がついているときである。ただし、その努力が実っているかどうかは甚だ疑問ではある。「ロマンチック歴史アドベンチャー」とか「異次元ヒロイックコメディ」とか、なんとか端的に内容を伝えようという意欲は認めるが、もはや何がなんだかわからない。
こうなると、ジャンル分けなど一切しない方がいいのではないかとも思うが、そうすると、冒頭で述べたような「苦手な内容のものを引き当ててしまう確率」が上がってしまう。判断基準をタイトルに頼るところが大きくなり、それは私の読書経験上、なかなかにリスクが高い。もちろん、そのリスクを含めて楽しむという方法もあるわけだが。
読む側であり書く側でもある紺堂としては、ジャンルがわからない不安もわかれば、ジャンル分けするときの苦悩もわかるため、分けるべきか分けないべきか、どちらにも軍配を上げられない。ときに頼りにし、ときに惑わされながら、ジャンルも作品の面白さに関するスパイスのひとつとして、付き合っていくのがよさそうだ。
だが、便利であると同時に厄介なものでもある。世の中には、そうハッキリとジャンル分けのできない作品もあるのだ。
それは私がつばめ綺譚社にて出している作品にも言えることで、「どんな話ですか」という質問に対して一言でジャンルを説明できなかったりする。それでもなんとかジャンルに分けているわけだが、読む側に立ったときにジャンル分けに惑わされた経験があるため、はたしてこのジャンル分けは正しいのだろうか、と自分の作品でありながらいつまでも迷ってしまう。
惑わされた経験、というのはどういうことかというと。
本格ミステリー、というジャンル表記があった作品を「久々だな、本格ミステリー!事件!謎!探偵!」とわくわくしながら読んでみたところ、殺人事件のひとつも起きずに終わってしまった、というようなこと等である。
確かに、内容はミステリーであった。それは間違いない。しかし「本格ミステリー」ではなかったと思う……、もしかして私の考える「本格ミステリー」は世の中で認知されている「本格ミステリー」というジャンルとズレているのだろうか……、と、ひとしきり首をひねったのである。期待していたものではなかったが、作品自体はとても良いものだったので、こんなことならいっそ、ジャンルなどで判断せず先入観ゼロで読んだならばもっと楽しめたのではないだろうか、と残念に思った。
こうしたズレをできるだけ少なくしよう、と、ジャンルを定める側が努力しているのだな、と思えるのは、やけに長いジャンル名がついているときである。ただし、その努力が実っているかどうかは甚だ疑問ではある。「ロマンチック歴史アドベンチャー」とか「異次元ヒロイックコメディ」とか、なんとか端的に内容を伝えようという意欲は認めるが、もはや何がなんだかわからない。
こうなると、ジャンル分けなど一切しない方がいいのではないかとも思うが、そうすると、冒頭で述べたような「苦手な内容のものを引き当ててしまう確率」が上がってしまう。判断基準をタイトルに頼るところが大きくなり、それは私の読書経験上、なかなかにリスクが高い。もちろん、そのリスクを含めて楽しむという方法もあるわけだが。
読む側であり書く側でもある紺堂としては、ジャンルがわからない不安もわかれば、ジャンル分けするときの苦悩もわかるため、分けるべきか分けないべきか、どちらにも軍配を上げられない。ときに頼りにし、ときに惑わされながら、ジャンルも作品の面白さに関するスパイスのひとつとして、付き合っていくのがよさそうだ。
文字の海を泳ぐ ブログ連載第七回 あこがれの書斎
書斎にあこがれている。
書庫にもあこがれている。
ひとり書物に囲まれ、書いたり読んだり瞑想したりする空間。自分だけの書物を無尽蔵に集められる空間。
そこではまさしく夢のような時間が過ごせることだろう。
当然、私のような小娘がそんなものを持っているわけもなく、また、持てる予定も今のところない。だからこそのあこがれであるわけだが。
本が好きな者にとって、「書斎を持ちたい」「書庫が欲しい」と思うことはとても自然な流れであり、このあこがれの気持ちはよく理解していただけるのではないかと思う。だが、そのように書斎にあこがれる人が多いというのに、書斎を持っているという人があまりにも少ないと感じるのは私だけであろうか。少なくとも私の周囲にはひとりとして、書斎を持っていますという方を存じ上げない。
その理由はつきつめるまでもなく、一般家庭の家屋における書斎の優先順位の低さ、という悲しい現実によるものであろう。実際我が家も、父とふたりで「書斎が欲しいねえ」と長年言い合っているが、言い出してから十年近く経過しても実現の目途は少しもたっていない。キッチンがなければ食うに困るが、書斎はなくても生きられる。風呂を持たずに手洗い場で体を洗うとなれば相当に不便だが、書斎がなくても本はどこでも読めるし不都合はない。そういうことだ。
読書という行為が低く見られているのだ、嘆かわしいことだ、などと大げさなことを言うつもりはない。簡単には得られないものであるからこそ、書斎にはきらきらしたあこがれが、いつでも、まとわりついているものなのだ。
私があこがれる書斎の姿を少しだけ、描写させていただくと、まず、照明にこだわりたい。本を読むには明かりが実に重要だ。暗すぎてはいけないが、かといって明るすぎるのはむしろ暗いよりもよろしくない。夏の朝日を冬の夕焼けで割ったような、そういう少し不安を誘うような明るさがいい。色は、陽の光を例に出したところからも分かるようにオレンジ系がふさわしい。デスクは重厚感がありつつも親しみやすいオールドタイプのものがいい。書架は天井まで届く高さで、梯子を取り付けたい。可動式になっていて本棚の奥に更に本棚があるというつくりのものもいい。イメージとしては、そう、ハリーポッターの映画の中の、図書館の一角を切り取ったような、そんな書斎だ。
考えるだけでわくわくしてくるが、何度も言うように、こんな書斎を持てるような計画は、一ミリも進行してはいない。
それでも、あこがれることはやめられない。それは、読書が好きで物語が好きな者の性質であるかもしれない。
さて、皆さまはどのような書斎を持ちたいとお考えだろうか。いろいろと訊いてみたいところである。
ああ、となりのトトロに出てくるお父さんの書斎のようなのも、捨てがたいなあ。
書庫にもあこがれている。
ひとり書物に囲まれ、書いたり読んだり瞑想したりする空間。自分だけの書物を無尽蔵に集められる空間。
そこではまさしく夢のような時間が過ごせることだろう。
当然、私のような小娘がそんなものを持っているわけもなく、また、持てる予定も今のところない。だからこそのあこがれであるわけだが。
本が好きな者にとって、「書斎を持ちたい」「書庫が欲しい」と思うことはとても自然な流れであり、このあこがれの気持ちはよく理解していただけるのではないかと思う。だが、そのように書斎にあこがれる人が多いというのに、書斎を持っているという人があまりにも少ないと感じるのは私だけであろうか。少なくとも私の周囲にはひとりとして、書斎を持っていますという方を存じ上げない。
その理由はつきつめるまでもなく、一般家庭の家屋における書斎の優先順位の低さ、という悲しい現実によるものであろう。実際我が家も、父とふたりで「書斎が欲しいねえ」と長年言い合っているが、言い出してから十年近く経過しても実現の目途は少しもたっていない。キッチンがなければ食うに困るが、書斎はなくても生きられる。風呂を持たずに手洗い場で体を洗うとなれば相当に不便だが、書斎がなくても本はどこでも読めるし不都合はない。そういうことだ。
読書という行為が低く見られているのだ、嘆かわしいことだ、などと大げさなことを言うつもりはない。簡単には得られないものであるからこそ、書斎にはきらきらしたあこがれが、いつでも、まとわりついているものなのだ。
私があこがれる書斎の姿を少しだけ、描写させていただくと、まず、照明にこだわりたい。本を読むには明かりが実に重要だ。暗すぎてはいけないが、かといって明るすぎるのはむしろ暗いよりもよろしくない。夏の朝日を冬の夕焼けで割ったような、そういう少し不安を誘うような明るさがいい。色は、陽の光を例に出したところからも分かるようにオレンジ系がふさわしい。デスクは重厚感がありつつも親しみやすいオールドタイプのものがいい。書架は天井まで届く高さで、梯子を取り付けたい。可動式になっていて本棚の奥に更に本棚があるというつくりのものもいい。イメージとしては、そう、ハリーポッターの映画の中の、図書館の一角を切り取ったような、そんな書斎だ。
考えるだけでわくわくしてくるが、何度も言うように、こんな書斎を持てるような計画は、一ミリも進行してはいない。
それでも、あこがれることはやめられない。それは、読書が好きで物語が好きな者の性質であるかもしれない。
さて、皆さまはどのような書斎を持ちたいとお考えだろうか。いろいろと訊いてみたいところである。
ああ、となりのトトロに出てくるお父さんの書斎のようなのも、捨てがたいなあ。