2015-08

コミックライブと新刊のお知らせ

まだまだ暑い日が続きますね。
それでもまだ、お盆前の猛暑に比べれば、少しは和らいできたでしょうか。

さて。
ギリギリのお知らせとなりましたけれども、明日、8月23日のコミックライブ名古屋につばめ綺譚社として出展を致します。(スペースE-43,44)
すでにつばめ綺譚社のブログなどでは告知をしておりましたけれども、今回、わたくしの新刊がございますのでこちらでもちょっと触れさせていただきたいと思います。
新刊は、『水泡保存箱』(A5、コピー、52p、¥200)と申します。
わたくしがここ一年ほどの間に書いた中編・短編を4つ、収録した作品集でございます。
中には、他所で発表するつもりで書いたものの、結局日の目を見ることのなかった作品も含めています。
「本当は泡のように消えてしまうはずだったものを、そっと保存した」という意味合いでのタイトルになっております。
pixivにて第一章だけを公開しておりました『神様のトレーニング』も、完結させた上で、収録しております。続きを気にしてくださっていた方がいらっしゃったとのことで、ありがとうございます。冊子での完成となってしまって申し訳ありませんが、よろしければ是非、お手にとっていただけたらと思います。
なお、表紙は、つばめ綺譚社の美人秘書・月慈稀羅にデザインしていただきました!
作品タイトルにぴったりの、爽やかで儚げな表紙になっております。
今回、ページ数の都合上、あとがきをつけられませんでしたので、きちんと紹介できておらずに申し訳ありません・・・。

そんな感じで。
名古屋でのイベント出展は、実は12月以来で半年以上ぶりでございます!楽しみです!
当日直参しますのは、わたくし紺堂のみですが、是非、お立ち寄りくださいませ。
よろしくお願い致します!

文字の海を泳ぐ ブログ連載第六回 本を読まない人

 六月から始まったこの読書エッセイのブログ連載も、早いもので六回目と相成った。つばめ綺譚社の不定期刊行雑誌「つばめの巣」での連載も含めると、今回でちょうど十回目となる。続けられたのはもちろん、読んでくださる方々のおかげである。心より、御礼申し上げる。
 よくそんなに読書に関するテーマが見つけられますね、と言われたこともあるが、それに関しては私自身が一番驚いている。まだ予定している連載回数の半分も来ていないというのにこんなことを言ってはいけないかもしれないが、考えてみれば意外と見つかるものである。
 毎回のテーマにそったエッセイの内容に関して、大変有難いことに「わかります」「あるあるですね」と同意や共感を示していただけることも多い。だからこそ安心して、自分の読書生活について書くことができたわけであるが、当然のことながら、そのような感想を持ってくださる方は皆「本を日常的に読む方」である。いまさら改めて宣言することでもないかもしれないが、このエッセイはそういった「本を日常的に読む方」が目を通してくださっている、ということを前提にして書かれている。
 そこでふと浮上してくる疑問は、このエッセイを「本を読まない方」が目にしたとしたら、どのように感じられるだろうか、ということである。
 類は友を呼ぶ、と言うべきかそれとも、類を同じくする友しか残らなかった、と言うべきか、私の周囲には読書の好きな人、読書を日常的にする人が多い。最近は読まなくなったけど本は好きだ、という人も含めると、知り合いの大部分は「本に関わりのある人」として総括できてしまうのではないだろうか。それゆえに、周囲の知り合いに尋ねてみる、という方法は断たれている。前述したとおり、このエッセイを読んでくださっている方は本を読む方であるから、ここで質問を投げかける、というのはそもそも選択肢になり得ない。どうにも、知る方法がないように思われるので、これはたぶん疑問のままで終わるのだろう。それはそれで、いいのではないかと思う。
 実のところ、私は「本を読まない」「本を読むのは嫌いだ」という方の気持ちが、わからない。なぜ読むことの楽しさを感じられずに生きてきてしまったのか、とても理解できるとは思えない。誤解しないでいただきたいのは、そういう方々の生き方を否定しているわけではない。ただ、わからないのである。
 なぜだろう、と考えてみたことはある。なぜ、読まないのだろう?なぜ、嫌いなのだろう?
 ゲームの方が楽しいから?確かにゲームは楽しい。私も夢中になったことがあるし、今もなっているゲームがあったりする。けれど、本を読んで得られる喜びとそれはまったく別物だ。比較した上で読書はやめておく、ということにはならない。
 文字を読むのが苦痛だから?この理由の方は多いかもしれない。けれど、嫌々ながらでも学校の国語の授業は受けてきたはずだし、もちろん、多くのテストや受験を潜り抜けてきているのではないのだろうか。文字を読むことに耐えられないほどの苦痛を与えられるのだとしたら、それらはどんなにか命がけの行為であったことだろう。そこまで苦しんで文章を読んできた方は、そうはいないのではないだろうか。
 このように。どんなに考えても結局、自分を納得させられる理由は考え付かなかった。つまり今も、私は「本を読まない人」の気持ちや考えがわからないままである。
 本はこれまで、私にあらゆることを教えてくれた。「本で調べられないことなどない」と本気で考えていた時期もあるくらいだ(現在はそうは思っていない、念のため)。だが、この「本を読まない人の考え」というものについては、どんな文献にあたったとしても、わかることはないかもしれない、と思っている。
 本は万能ではない。だからこその魅力も、あるのだと思っている。どこまでも読むことを愛している活字中毒者の愚かな点のひとつである。

文字の海を泳ぐ ブログ連載第五回 原作

 文学作品の映画化は、古今東西で古くから数えきれないほどなされている。近頃は漫画のアニメ化、実写映画化、はては舞台化、などが話題を集めることが多いようである。私もそうした、いわゆる「原作のある映像作品・舞台」などに少なからず親しんでいるが、この際いつも目の前に提示される問題がひとつある。
 原作を先に読むか、映像作品を先に見るか、である。
 個人的な結論を先に言ってしまうと、私は大抵の場合、原作を先に読んでから映像作品にあたる。理由はさまざまある。ストーリーが複雑だとわかっているものに関しては単純に予習の意味合い。好きな役者が出ている場合にはその方の演技に集中するため。
 その中で、一番大きな理由は「情景・心情の文章表現をどのように映像で表現しなおしているのかということに対する興味」である。
 特に心理描写を会話ではなく「地の文」で描く分量の多い作品については、いつも楽しみにする一方で不安がったり心配したりしてしまう。原作者でもなければ作品の登場人物でもないのだから、まさしくそんな心配は余計なお世話である。加えて映画製作について深く勉強したこともない、となれば、お前に心配してもらう筋合いはない、と言われたとしても、ごもっとも、としか返せない。それでも、公開前からそわそわと浮足立った気持ちであれこれ心配してしまうのは「読む」という行為を愛している者にとって、致し方ないものなのではないかと思う。
 そんな期待と不安がないまぜになった心境で観た映画の心理描写が素晴らしいものであると、観る前まで抱えていたネガティブが綺麗に吹き飛ぶばかりか、長い苦労が報われたような気持ちになるのである。自分が映画を作ったわけでもないのに、苦労が報われたとはずいぶん図々しい言い様ではないか、と思われるだろう。だが、考えてもみてほしい。これまで自分の心中のみ、まぶたの裏側でのみ、ひっそりと回転していたイメージが、眼前の大きなスクリーンに展開されるところを。自分の想像力をすべて駆使しても、カタカタとぎこちなくしか動いてはくれなかった想像のシーンが、己の脳の限界を軽々と越えて堂々と再現されるところを!
 まさしく、幸福である。
 けれども、そういった映画に出会えることは、決して多くはないのも事実である。だが、それだけのことで映画化にがっかりする、ということは少ない。なぜなら、自分のイメージと重ならないことの方が当然であるからだ。ひとつの作品を読んで得るイメージは、そのひとによって大きく異なるものである。そこが、文章というものの良いところだ。だから、そういう場合は自分とは違うイメージ、言い換えれば「自分では決して思い浮かべられなかったイメージ」を享受することができたのだ、と考えている。自分のイメージとぴったり重なったときの幸福感とは比べようもないが、それもまた得難い経験であり、原作のある映画の楽しみ方のひとつであると思っている。
 さて。ここまで書いてきたからには、その「原作を読んだときのイメージがぴったり重なった映画」というのをいくつかご紹介しておくべきであろう。念のため申し上げておくが、あくまで「私のイメージ」と重なった、というだけのことである。私は当然のことながら映画評論家ではないし、文学評論家でもない。ただ、読むことが好きで自分で書いたりもする、という、しがない活字中毒者である。で、あるからして(逃げ道を作っておくような表現で申し訳ないが)原作の映画化としてどのようなものが優れているのか、というようなことを示せるわけではない。そのため、原作の評価や映画の評価をしているわけではない、ということはご承知おきいただきたい。
 前置きが長くなってしまった。数ある映画作品の中から、ふたつ、ご紹介する。

●中島京子『小さいおうち』(映画:山田洋二監督)
 とにかく、女中さんと奥様の可愛らしさが想像どおり、いや、想像以上であった。クライマックスの描き方は少々残念、というか、もう少しやりすぎて欲しかったところであるが、それこそ個人的な好みである。また、戦争の様子をぼかしまくっている特撮めいた手法には脱帽した。

●ロアルド・ダール『チャーリーとチョコレート工場』(映画:ティム・バートン監督)
 ジョニー・デップとティム・バートンのタッグで注目を集めた映画である。この原作は、私が幼いころから大好きだったお話であっただけに、期待も不安も相当だったのであるが、素晴らしい出来栄えであった。ジョニー演じるウィリー・ウォンカは原作どおりではなかったが、とにかく、あのチョコレート工場の再現度が素晴らしかった。チョコレートの川!!!そう、それそれそれだよ私の頭の中に長年あったのは!!!と、ひどく興奮したものである。

 こう紹介を書くためにいろいろ思い返してみると、原作は読んでいるけれど結局映画化されたものは観られずじまい、というものが実に多いことに気がついた。またそわそわしながら、原作のイメージを膨らませ、映画に臨んでみることにしたい。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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