2018-04

内面を書くということ

すっかり春らしく……、というより、すでに暑くなってきてしまいました。
今年の桜もおわり、このまま夏へ一直線なのかと思うと早くもうんざりしてしまいそうです。


さて。
四月になり、年度か変わりました。今年も、つばめ綺譚社にて様々なイベントに出店したいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。
(なんと今年で八年目ですってよ!びっくり!)
書きたいもの、出したい本がまだまだありますので、今年もがんばってまいろうと思います。
その書きたいもののひとつに「エッセイのようなもの」があるのですが。
これがなかなか、どうしたものか、と思っておりまして。
と、いうのも。
私、自分の内面のことをなかなか書けないのです。
以前、このブログで連載していた「読書エッセイ」ですとか、今も継続して更新している「お恥ずかしながら読んでいませんでした日記」などという本にかかわること、映画の感想、イベントや旅行でのできごと、という「自分を取り巻くもの」についてはらくらくと書けるのですが、なんというか、内面のウェットな部分については、なかなかエッセイというかたちでは書けないことが多く……。
ブログなどでごくプライベートなこと、デリケートな問題を書いて公開しておられるのを読んだりすると(そういうものを読むのが好きなのでいろんなブログを拝見しているのですが)、その内容に心動かされるのとはまた別の部分で、ただ単純に「すごいなあ」と思ってしまったりします。
ひとのブログは読んでいておもしろいのですが、いざ自分で書こうと思うと「え、これ、大丈夫?めちゃめちゃ個人的なことだけど、読んでておもしろいかな、これ?大丈夫?」とつい思ってしまうのが書けない原因のような気がします。
基本的に「私に誰も興味ない」「私自身ではなく私の作品に興味を持ってもらえればそれでいい」と思っているので……。じゃあなんでエッセイ書きたいのかってそういう話にも……なってくるんですけど……。
何が言いたいかというと、今年はその「なかなか書けない」を少しずつでも書いていきたい、と考えているということです。
本の話や、映画の話だけではない、「考えていること」「感じていること」を、ここでもっと出せたらいいな、と。
「え、大丈夫?これおもしろい?」はきっとこれからも首をひねりながら書いていくことにはなろうと思いますが、お付き合いいただける方が少しでもいらっしゃれば幸いです。
よろしくお願いいたします。


今年の春は、道端にすみれが咲いているのを例年よりたくさんみかけた気がします。
すみれが多い年だったのか、それとも去年より私の視野が広がったのか。
どちらの理由であったとしても、嬉しいことだなあ、と思います。

今年の「書く私」と来年の「書く私」

今年は、書きかけの原稿を抱えた状態で迎えました。締切まであまり余裕のない原稿でした。
年明けすぐ、勤務先を夜遅く出て、誰もいない路地を歩きながら私はひとりで呟いていました。
「面白いものが書きたい面白いものが書きたい面白いものが書きたい!!」
と、本当に、声に出して。そうして、その原稿をなんとか仕上げた頃に、春が訪れました。

さて。そんなふうに開けた一年も、もう残りわずか。年の瀬が押し迫ってまいりました。
本日はタイトルのとおり、今年の「書く私」と来年の「書く私」について述べてゆきたいと思います。が。
その前に。今回の記事は「創作Adventカレンダー」に参加させていただいているものでございますので、ちょっと簡単にでも、自己紹介をさせていただきます。

紺堂 カヤです。
小説(ファンタジーや青春ものが多めであるようです)を中心に、短歌、エッセイなどを書いています。
所属サークルは、創作サークル「つばめ綺譚社」。代表として、総勢7名のメンバーを取りまとめています。……取りまとめています、というと大げさですが、イベントに直参したり申し込みや会計処理をしたりお知らせブログ書いたりしてる、ということです。
また、フリーライターとしても活動しており、(株)クラウドゲートのWTRPG「ファナティックブラッド」にてマスター(シナリオライター)、情報サイト「Wakuiro」にてライターをさせていただいております。
※WTRPGとは、ノベルゲームの一種です。「すべて文章でやるTRPG」というと一番イメージしやすいかもしれません。

と、いうところで。
では、早速、まずは今年の「書く私」について。
総評から言うと「ずっと書いていました」。ざっくりではありますが、今年私が書いたものを下にまとめました。


■つばめ綺譚社刊行
『繋ぎ屋台帳2~滲んだインク~』(雑誌連作に加筆プラス書き下ろし一篇)
『200字小説集 すきまを行列がゆく』(ツイッター掲載のものに加筆プラス書き下ろし)
雑誌「つばめの巣」掲載短編『鴉と光』、読書エッセイ『文字の海を泳ぐ 第八回』

■アンソロジー参加(順不同)
アンソロジー「空」(主催:綿津見さま)
宝石アンソロジー『きらきら』(主催:黒い子さま)
手のひら小説アンソロジー『color』(主催:百画れんかんさま)
遊園地アンソロジー『One Day Passport』(主催:氷梨えりかさま、紺堂 カヤ)
テキレボアンソロジー (『手ノ鳴ルホウヘ』番外編『夏の熱源』で参加)

ネットプリント企画「短歌ハッシュ」 2月、4月、5月、7月、一周年号外、8月、10月

■ライター業で書いたもの
「Wakuiro」記事×1本

「ファナティックブラッド」シナリオ(平均8000字)×28本
※年内にもう2本ほど予定
OMCノベル(平均3000字)×6本


細々したものはまだいろいろ書いてるんだと思うんですが、大筋はこんなところかと思います。
今年の特徴としてはなんと言っても「アンソロジーにたくさん参加させていただけた」というのと「シナリオのお仕事がガツッと増えた」というところです。
シナリオのお仕事については、長く説明をしなければならない要素が多いのでひとまず置いておくこととして、アンソロジー参加について少し述べます。
文学フリマなどで、アンソロジー作品を買い、読む機会がここ二、三年で増え、「おもしろいなあ、私も参加したいなあ」と思い始めたのが去年。そして去年初めて参加させていただいたアンソロジー(お酒アンソロジーです)の執筆などがとても楽しくて、今年はもっといろいろ参加しよう!と思ったらこうなりました。
極端すぎるわ。
しかし、とてもとても楽しかったですし、勉強にもなりました。
自分のサークルで出す作品には、基本的に文字数制限がありませんから、文字数決められた文字数の中できちんとテーマに沿った、けれども「私の」物語を書くというのは「意図的につくっている」という感覚を強く味わうことが出来ました。
自分の他にも同じテーマで書いている寄稿者さま方がいる、というのもとてもとても刺激になりましたし。
去年の「お酒アンソロジー」でもそうだったのですが、宝石アンソロジー『きらきら』において、「読み合わせ感想会」というものがあり、スカイプを使用して全員が全員の作品について意見していく、という場が設けられていました。自分ではまったく気にしていなかった点に指摘が入ったり、褒めていただけたり、大変貴重で有難いことでした。
この「感想会」、とても素晴らしいと思いましたので、自らが主宰してつくった遊園地アンソロジーでもやらせていただきました。
今年、こうしてアンソロジーにたくさん参加させていただいて、アンソロジーをつくっていくノウハウのようなものも勉強させていただいたので、いつか、もっと大勢でのアンソロジー企画を立ち上げたいなあ、と思っています(遊園地アンソロジーはふたりでの合同誌だったので)。

とにかく、我ながら、書きまくった一年だったな、と思います。一般的な会社員の皆様より勤務時間は短めであるのですが、一応ほぼ週5日で働いてもおりますから、自分史上もっとも、時間を上手く使えた一年だったのかな、と。それでもまだ無駄が多いんですけどね;
常になんらかの〆切を抱えている状態で、二、三本平行して書いていることも多かったです。
私は、結末が決まってから書き出すタイプの書き手ですので、終わり方が定まらなくて筆が進まない、ということはあまりありませんが、かといって筆が早い方でもありませんから、紙の前やパソコンの前でうだうだしている時間もかなりありました。
それでもこれだけなんとか書き上げてこられたのは、何を置いても「締切は絶対に守るべきだ」という長年の信条が染みついていたからだと思います。よかった……、昔から今までの自分、本当にありがとう。
反省点、というか、もっとこうしかたったなあ、というところをあげると「すきま執筆」になってしまったなあ、というところです。
シナリオのお仕事が途切れた間にアンソロジーの原稿を進める、逆に、アンソロジーの原稿の締め切りが途切れた間にシナリオのお仕事を書く、そのまた間に自分のサークルで発表する作品を書く……、という状態で、どっしり腰を落ち着けて長いものを書く、ということができなかったのです。


と、いうことで、来年の「書く私」の話です。
今年できなかった、どっしり腰を落ち着けて長いものを書く、ということをしたいと思います。そのようにして、書きたい長いものがあるからです。
とはいえ、シナリオのお仕事のペースをあまり落としたくはないですし、来年は夏周辺から生活環境が変わる可能性があるもので、なかなか難しそうだということがすでにわかっています。
しかし、時間はつくるもの、でございますから、きちんと計画を立てて、まとまった時間を作り出したいと思います。「執筆のための旅に出てしまう」のもひとつの手かな、とちょっと考えています。温泉地に逗留して書いていた、文豪のように。
アンソロジーは、来年もいくつか参加させていただきたいと思っていますが、今年よりは数を押さえるつもりです。さすがに、やりすぎた感じがありますので……;すでに来年の寄稿が決まっているアンソロジーも何本かあるもので、これ以上増やさないようにしないと、と思っています。
「面白そう!」と思うとすぐ飛びついてしまうものですから……。
そう、予定をどんどん詰めてしまうのは私の悪い癖なんです、昔から……。
まあ、でも、どんなふうに組み立てなおしても、結局は来年も書きまくる一年にしたいなあと思います。


長々と書いてきてしまいました。
これ、よそ様が読んで面白いものになっていますかね!?役にはたたないと思うんですが、面白くもないかもしれない、申し訳ないです……。
そうそう……、冒頭で述べていた「年明けから春にかけて書いていた原稿」は、実はまだ少しの方の目にしか触れていない、刊行されていない物語です。来年の早いうちに、つばめ綺譚社よりお目見えしたいと思っています。
そして来年もまた、今年と同じように締切に余裕のない原稿を抱えながら年を越しそうです。……今年よりさらに余裕のない感じになってる気がします。
でも、書き続けるしかありません。
私は、今年も来年も、面白いものが書きたいのです。

OneDayPassport

先日、11/23開催文学フリマ東京のお知らせをさらっといたしましたが、本日はもうちょっと、頒布作品について(書いた者としての個人的なことを)書いておこうかなあ、と思います。
今年はこの文学フリマ東京が、関東のイベント出店最初で最後です。
一年ぶりの関東ですので、11/23に合わせた新刊以外にも関東初お目見えのものがたくさんあります。
その中でも、関東へ持っていくことができて嬉しいなあ、と思っているのが、遊園地アンソロジー『OneDayPassport』です。
盟友・氷梨えりかさん(サークル:骨組段階)との合同誌です。
とても面白い試みを、気心知れた相手と、しかし容赦なく意見しあって作り上げることができたのは、とても素晴らしい体験でした。
ある遊園地の、ある秋の一日を、朝・昼・夕・夜に分け、二つずつ時間帯を担当して物語を書くというものになっており、私は昼と夜を担当いたしました。四つの作品はどれも独立しているので、ストーリーに関連性はありませんが「同じ一日の出来事」という連続性は持っています。
昼は、遊園地の売店で働く女子大生の「ちょっとした不思議体験」の物語。
夜は、メリーゴーランドの木馬と、そこへ通う女性の「交信」の物語。
どちらも長くないのですっと読めると思いますし、私の書くものの中ではかなり「万人受けする方向の作品」だと思います。……あくまで当者比ですが!
読むことの楽しさを純粋に味わっていただける「読み物」になっているのではないかな、と思います。
手に取っていただけたら嬉しいです!

東京はさ、丸ごと遊園地みたいだよね。
楽しいけど、迷子がこわい、そんなところ。
行って参ります。

生身の私と、書いたもの

随分久しぶりになってしまいました、とここを更新するたびに言っている気がします。
十月はついに一度も書かぬままに終わってしまいました。
いや、でも実は十月はひたすら書き続けていた一ヶ月だったんですけどね、ええ……。
つばめの関連のものもたくさん書きましたので、それについてはまた改めてお知らせなどさせていただこうと思います。


以下、ちょっとどうでもいいことを書きます。

私は、私自身が嫌われようとなんだろうと、書いた作品さえ読んでいただけて、楽しんでいただければいいと思っています。
それと同じように、自分が鑑賞する作品についても、その作品自体がよいものであれば、作者がどんなにいけ好かない人物だとしても、極悪人だとしても、構わないと思っています。
ですが、こういう考え方をする人というのは、実はそう多くないらしく、「作者の個人的な発言(ツイッター含む)」や「生身の作者」を重視する人の方が多いようです。
なので、というわけではありませんし、媚びる意図もありませんけれども、別に進んで嫌われようとしているわけでもないので、私も「生身」で出て行くときにはそれなりに気をつけるようにしています。
コミティアや文学フリマのような即売会、ゲームのオフイベント(先日も秋のどさイベに参加いたしました、ありがとうございました)など、私はわりと「生身」を晒すことの多い書き手ですから、「生身」でありつつも素をある程度隠し、よそゆきの(嘘の、というわけではありません)発言をしているつもりです。それは「好意を勝ち取る」というよりは「不快指数を減らす」というベクトルで行っているものなのですけれども、それでも続けていくうちに「あれ?私どんどん書いているものから生身の自分がかけ離れていってないか?」と思うことがたびたび、あります。
そうなると今度は、「いい人だと思って作品も読んでみたけど、作品の方はあまり、いい人が書いたという感じがしなくて裏切られた」という現象が起こるのではないか?と余計な心配が頭をもたげます。
うーん、となります。
「良い印象」であろうと「悪い印象」であろうと、作者と作品を切り離せない人に対して講じておく策というのは存在しないのではないかと思えてきます。たぶんきっと、存在しないのでしょう。
「不快指数を減らす」というベクトルで「生身」の私を外に出していく姿勢は変えないつもりですが、まあ、結局は最初の言葉に帰結するのだと思います。
私は、私自身が嫌われようと、好かれようと、なんだろうと、書いた作品さえ読んでいただけて、楽しんでいただければいいと思っています。

毒にも薬にもならないようなことをつらつらと書きました。
五日に一度はブログ更新をしよう、と宣言しましたので(宣言してすぐ破ってしまってるんですけど)、次は五日以内にここでお会いいたしましょう。
川端康成『古都』を読んだので「お恥ずかしながら読んでいませんでした日記」を書きます。

物語「が」居場所、物語「の」居場所

ふとしたことがきっかけで、物語に関連する「居場所」のことを考える機会を得ました。
誰のためになるとかそんなことではまったくなく、ただとりとめもなくつらつらと考えてしまったことを、少しここに書き記しておこうと思います。
論文のように結論が出ているものでもなければ、読書エッセイのように読み物として書くものでもありませんので、あまり面白くはないかもしれません。
そんな自己満足な語りですけれども、お付き合いいただけるという方は、どうぞよろしくお願いいたします。
以下、その語りは「です、ます」を廃した文体で書かせていただきます。

さて。
ここで扱う「物語」とは、すでに完成している「本」のことを指す。別に紙媒体である必要はなく、電子書籍だろうとネット掲載だろうとそれは構わないのだが、「読まれることを前提にして書かれたもの」という意味でのみ扱わせていただきたい。広辞苑の記述を借りるならば「作者が見たことや聞いたことや、または想像を基礎とし、人物や事件について叙述した散文の文学作品」となる。
とはいえ、これは論文ではないので、「物語」という言葉で思い浮かべられる定義が人によってそれぞれ幅を持っていたとしても特に問題はない。
前置きが長くなったが、物語に関連する「居場所」とはどういうことかについて、述べていきたい。
私は、誰かが書いた物語を読むときも、自分で物語を書くときも、物語を「居場所」と捉えている。
物語を読むときには、物語の中に自分を埋没させ、普段寝起きしている大地(いわゆる現実というやつ)から足を離す。現実にいたくない、と思って別の居場所を探すこともあれば、別にそんなことは考えていないのにいつの間にか大切な居場所になっていたこともある。
物語を書くときには、白い紙の上に座って、そこに描きたい家、街、国を作っていく。ときには宇宙、またときにはそんな単語では言い表せないどこかとても深いところを。そして書きながら、そこを走ったり、そこで寝たりする。書き終わったあとも、定期的に降り立ってはそこですごす。
そうして書いた私の「居場所」を私以外の人に読んでもらうときというのは、そこが私だけの居場所ではなくなるときだ。ちょっとだけ立ち寄って去っていく人もいるだろうし、長く滞在してくれる人もいたりする。立ち去ったと思った人がまた戻ってきてくれることもあるようである。
そういう捉え方をしていたので、物語「の」居場所を探す方がいると知ったときには少々驚いたものである。以下で述べる物語の「居場所」は、「きっとこういうことであろう」と私が勝手に解釈した内容であるので、他者の考えと差異があるかもしれないことを前提にしていただきたい。
自分が書き、発表した物語について、他者に読んでもらうことで、物語はその読者の中に居場所を得る。読んでもらうだけでなく、お気に入りの一冊にしてもらえれば、さらに揺るがぬ居場所を得ることになる。
読者の数が増えればそれだけ多くの居場所を得ることになり、物語に強く思いを抱いてもらえればもらえるほど、強固な居場所を得ることになる。
……おそらく、そういうことであるのだろう。
なるほど、そう考えると、私の中に居場所を得ている物語もいくつかあるのだろうと思う。だが、人の心は狭いので、たったひとつの物語にすら、完全なる居場所を与えることは不可能なのではないかと思う。せいぜいが、断片だ。それも、いくつも抱えておくことはできないので、中身は定期的に入れ替わる。もちろん、長年ひとつだけをずっと抱えていることもあるのだろうが。
とても抱えていることができないので、私は物語を抱え込まず、その物語を自分が必要としたときに訪れることにしている。つまり、はやり、私にとって物語「が」居場所なのだ。
自分が書いた物語にしても、他者の中に居場所を求めることはないと言える。物語に、居場所はなくていい。それではあまりに可哀想ではないかと思う人もいるだろうが、私の物語はそれでいい。作者である私だけは、その物語を忘れないからだ。ただし、自分で書いた物語であっても抱えておくことはできないので、必要な時に訪れるための居場所となる。作者以外にも、居場所として利用してくれる読者さまがいらっしゃるのならば、大変大変ありがたく、嬉しい。

書いて、公開する以上、多くの人に読んでもらいたいと思うのは当然である。
しかし、物語を読んでもらいたいと思うことと、物語に居場所を与えたいと思うこととは私の中ではイコールにならない。
私は書く人間であると同時に、いや、書く人間である以前に読む人間であるので、その人にとって特別な一作になるということがどれだけ難しいかということを読者の目線で理解している。唯一無二ともなればさらにその難易度は上がるだろう。しかも、どれだけの名作を書けばよいという基準はない。その人にとっての「特別」の基準はその人の中にしかないからだ。
その基準のないところに、居場所を求めるというのは、あまりに苦しいような気がする。そこで苦しむくらいなら、私は物語を書くことに対して苦しみたい。

ずいぶん長々と書き連ねてしまったが、やはり私にとって物語は居場所であるのだ。
自分も居場所を点々と廻り、そして自分の書いた物語も誰かにとって立ち寄りたいと思ってもらえる居場所であってほしい。
そう思いながら今日も、紙をめくり、ペンを走らせる。


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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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