2017-04

金沢の文豪に会いに

気が付いたらすっかり春も深くなってきておりました。
今年の桜も綺麗でしたね。
名古屋で桜を堪能したのち、少し北へゆきました。
金沢です。
4/16の文学フリマ金沢へ出店いたしまして。当日の朝では会場入りに間に合わぬ、ということで、前乗りをして、前日に金沢観光をしておりました。
まだぎりぎり、桜が見られました。わんさと咲いて、どんどん散っていくところでした。美しかったです。
金沢は何度も訪れたことがあり、兼六園は雪の頃にも雪のない頃にも見させていただきました。どちらもよいですよねえ。
ですが、数ある文学館のたぐいにはひとつも行くことができていなかったので、今回はそれらを巡ることにしました。
どうしても、交通の事情で昼ごろにしか金沢へ着くことが出来ず、目当てであった四つの文学館をすべて巡るのは不可能に近いと金沢の方(文フリ事務局の方がわざわざ教えてくださいました;)に言われていたのですが、「時間管理を気を付けて、駆け足で回れば行けないことはないのでは!?」と詰め詰めなスケジュールを立て、回ってみました。
と、いうわけで、訪れた文学館について以下に簡単に感想や紹介を書いてみました。


泉鏡花記念館
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とても綺麗で趣のある建物でした。展示室は小さいながら工夫のこらされたケース配置と展示品で、調度のあたたかみもあり、鏡花の雰囲気をしっかりと伝えるものでした。
鏡花はまだ勉強中で(『外科室』等をようやく読んだのでまた報告を書きます)あらすじしか知らない作品も多くあったのですけれども、愛用の品々や初版の冊子、原稿などはもう、目の前にするだけで心が震えました。
『義血狭血』を読んでおいてよかったと思いました……。
受付におられたお姉さん(学芸員さんかしら)がとても親切で、バスの路線をたずねたところ丁寧位に調べてくださり、大変お世話になりました。ありがとうございました。

徳田秋聲記念館
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泉鏡花記念館の川向こうにあり、これまた実に綺麗な記念館でした。年表があったり、作品中の女性をモチーフにした人形があったり、邸宅を再現したものがあったりと楽しめました。
二階にあがると、大きな休憩室があって、そこから浅野川が一望できました。これがもう素晴らしい眺め!
お恥ずかしながら私は、秋聲作品は『黴』しか読んだことがなく、その上あまり好みではないなあ、と思ってしまったのでその後が続かなかったのですが……、二階の展示室ではちょうど、息子・徳田一穂を取り上げた企画展示を開催していて、一穂の「私は『黴』に出てくる、あの子どもである」というような言葉から展示が始まっていて。胸に来ました。
他作品も読んでみることにします。『縮図』がいいかなあ。

室生犀星記念館
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兼六園をぐるっと半周して、犀川の程近くにありました。ここもまた真新しい、綺麗な記念館でした。
展示品ひとつひとつにつけられているキャプションが丁寧で、じっくり見ることができたのが嬉しかったのですが、私の詰めすぎなスケジュールのために急ぎ足だったのが残念……。身に着けていた帽子などが見られたのにときめき、犀星の作品の多さに改めて感服し、未読のものを必ず読もうと決意を新たにしました。
これまでの三館の中でもっとも、ミュージアムグッズが豊富であり、デザインも秀逸であると感じました。犀星の詩集の初版表紙をモチーフにしたブックカバーは全種買い占めたいほどでした。

四高記念文化交流館(石川近代文学館)
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レンガづくりの校舎が美しい建物。その名のとおり「第四高等中学校」であった建物を利用して展示がされていました。金沢の文豪を紹介する展示は、お洒落でスマートなコーナーと、いかにも古臭い昭和に作った展示、というコーナーとが入り混じっていて面白かったです(笑)
期間限定の特別展示で、鏡花の『義血狭血』の決定稿が公開されており、個人的にタイムリーなことが重なるなあ、と思っていました。素晴らしい筆致でした、舐めるように見てきました。
駆け足で回ったラストだったので、四高に関連する展示はぼーっと見てしまい、ちょっと申し訳なかったです……。


と、行きたかった文学館関係を制覇し、文豪の生き様や作品への姿勢を学び、自分の未熟さを思い知り、精進しようという気持ちを大きくし、得る物の多い一日でございました。
金沢は本当に、見るものも多いですし食べ物も美味しいですし、何度行ってもいいところですね。今回で四度目くらいでしたが、また行きたいと思います!

さて。
来る4/30(日)は地元名古屋での、名古屋コミティア50でございます。
2スペース取って、気合を入れて参加致しますので、どうぞよろしくお願い致します。

お恥ずかしながら読んでいませんでした日記① 『カラマーゾフの兄弟』

随分と春らしくなってまいりました。今日などは、たっぷり鶯の鳴き声を堪能することができました。まるでお手本のような「ホーホケキョ、ピチチチチ……」。美しかったです。
さて。
わたくし紺堂カヤ、年末年始に、「いつか読もうと思っているが読めていない本」の中から十冊をピックアップして今年中に読むことを目標としておりました。また、読み終わったら感想を書く、と宣言いたしました。
その中のひとつ、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読み終えましたので、宣言どおり、読んだあとの感想を書かせていただこうと思います。「お恥ずかしながら読んでいませんでした日記」、ここからスタートと相成ります。
なお、できるだけ配慮はするつもりですが、「これから読むので内容を知りたくない」という方は以下、お読みにならない方がよろしいかと思います。物語の筋にまったく触れずに感想を書くのはやはり無理があるので……。


と、いうところまでを前書きとさせていただきまして。
本当にお恥ずかしながら、わたくし、ドストエフスキーをそもそも読んだことがございませんでした。
なので、『カラマーゾフの兄弟』が私にとっての「初ドストエフスキー」となったわけでございます。
誰に媚びることもない自己満足の感想文なのですから、率直に書かなければ意味がありませんので正直に申しますが、とにかく、長い。ええ、長いのです。これはもう読み始める前からわかっていたことで、実際に読み始めるまでのハードルとして最も高いものであったのですが、何の誇張もなく、長い。
しかしながら、長いわりにダダダッと勢いよく読み進めることができたな、というのもまた正直な読後の印象でございます。まるで、ジェットコースターのような加速で読みきりました。
とはいえ、ジェットコースターの加速というものは下るときに起きるもの。つまり、一度は上がらないといけないのです。その「上がっていく苦しみ」がまさに冒頭にあります。物語の主人公である「三兄弟」の父親、フョードル・カラマーゾフに関する記述なのですが、これがなかなかに読むのがつらい。ここで挫折した方はきっと多かったのであろうと思われましたし、実際私もここで挫折しかかりました。
ですが、なんとかここを乗り切ってしまえばあとは加速するばかり!
『カラマーゾフの兄弟』を愛してやまぬ友人から「最高のエンターテイメントだよ、キャラ読みできるよ!」と言われたとおり、実にエンタメ性も強いものとして読むことができました。
読み方として私が一番楽しかったのは、「三兄弟」の中から「推し」をみつけること。以下、三兄弟の印象を述べておきます。紹介ではなく、私が読んで感じた印象、です。
長男・ドミートリィは大胆で豪快で「カッコいい男」の雰囲気を持ち合わせているのに考えが浅くていろいろとトラブルを起こす人物。際限なく繰り出されるおしゃべりは時に朗らかで時に情熱的で……、時に支離滅裂。こいつバカなのでは!?と思うこともあれば、でも彼の姿こそが人間というものだよな、と思わされることもあり、非常に目が離せない存在。
次男・イワンは理論派で実質的で「賢い男」そのものという感じなのに、その賢さゆえの繊細さで自分の考えと周囲の考えに苦悩させられてしまう人物。お硬く筋の通った話し方は時に人を引きつけ、時に人を遠ざける。お前もうちょっと楽に生きてみたら!?と思うんだけれど、それができないところがむしろ良い、というねじれた魅力を持つ存在。
三男・アレクセイは清純で正直で慈悲深い「神の子」のような青年。感じやすく、その分傷つきもするけれど、決して弱くはない、芯のしっかりした考えと話し方を持つ。初めはなんて可愛らしい!と思うんだけれども次第に、この子本当に人間なのかな!?と思えてくる、清く正しすぎていっそ恐ろしくなってきてしまうという不思議な存在。
とまあ、それぞれとても魅力的なんですけれども、その中での私の推しは次男のイワン。いやー、もうホント「お前の気持ちはよくわかる!!!」と目の前で首を縦に振りまくってやりたい気持ちですわ……。
これだけ三兄弟の描写が素晴らしい作品であるだけに残念だったのは女性の描き方なんですけども(いかにも男性が偏見で書いた、そしてその偏見を微塵も悪いとは思っていないまま書いた、というような失笑を禁じ得ない女性像)、まあこの時代のロシアの男性作家ならば仕方がないのかなあ、という感じですか……。
まだまだ、語り尽くせていないのですけれども、もうすでにかなりの長さになってしまいましたので、このあたりにしておきます。
繰り返しの発言にはなりますが、まとめると。ロシア文学を読んだ、というよりはかーなりかーなり上質なエンターテイメントを見ることができた、という気持ちです。
今回私は新潮文庫の原卓也訳を読んだのですが、訳によってもまた違う楽しみ方ができそうですので、もうしばらくあとにでも、違う訳で読んでみたいと思っています。
『カラマーゾフの兄弟』、死ぬ前に読むことが出来て本当に良かったです。



こういうような話もできる、紺堂カヤ主催の読書会「まどろみ読書会」は、現在参加申し込みを受け付けております!
どうぞ奮ってご参加くださいませ!


長く伸びた影を

寒い日が続いておりますね。

全国的に大寒波に見舞われ、雪でお困りになった方も多いのではないでしょうか。

私も困ったひとりですけれども。

さて。

ここ最近にしては珍しく、更新のスパンが短くなりましたが、特に急なお知らせがあるわけではございません。

当ブログ「未完成まじっく」をちょっとすっきりさせました、というお話です。

と、いうのは。

過去の記事をザクッと消しました。

なぜ急に、という感じではありますが、特にはっきりした理由があるわけでもないのです。ただちょっと、後に長く伸びすぎているな、と思いまして。

実は当ブログ、すでに開設から10年を数えております。

この間、一度も過去の記事を消すことなくただただ更新を積み重ねてきたのです。開設当初のことをご存じで、今も継続して読んでくださっている方はほとんどおられないと思います。現在覗いてくださっている方でも、わざわざ10年も前の記事までさかのぼってチェックする方もそうそういらっしゃらないでしょう。

……とはいえ。10年も前の記事を放置しておくだなんて、我ながら恐ろしいことをしていたものです……。

削除するにあたってザッと目を通してみましたが、そりゃあもう恥ずかしいこと恥ずかしいこと!

内容が、というよりも語り方が恥ずかしい(まあ内容が恥ずかしいことも多々ありましたけども)。よくもまああんなテンションで書けたものだと思います。

この10年間、自分はさして成長していないなあ、と思っていたのですけれども、あれらを読んで、少なくとも最低限の成長はできているようだと奇妙な安堵をいたしましてございます。……まあ、ツイッターにおいては今も似たようなテンションで程度の低い発言をしておりますから、実際のところはそう変わっていないのだと思いますが。

ここまでを読んで、「へええ、そんな記事が」といまさら興味を持った方がいらっしゃったとしても、もう消してしまったあとなのですよ……。

いわゆる黒歴史に関する記事を消したわけですが、別にその頃の自分を否定したいとかなかったことにしたいとかそういう重々しい思惑ではないんですけどね。

きっとこの記事だって、もう10年後に読み返したらきっとひどく恥かしい気持ちになるのだろうと思います(10年後にこれを読み直す機会や方法があれば、ですが)。

ブログ記事はともかく、小説に関しては、何年後に読み返すことがあってもここまでの恥ずかしさを感じることはないのかもしれない、と思います。恥ずかしさを感じることがあってはならない、とも思いますし。……着地点が不明になりますのでこのテーマを掘り下げるのはひとまずやめておきます。

 

 

さて。

文フリ京都まであと数日でございます。期待と不安を胸に(つばめ綺譚社、直参はカヤのみです!)冬の京都へ参ります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

今年の3冊2016&読書目標2017

クリスマスを前にして、街にはイルミネーションが輝いておりますねえ。
カヤはイルミネーションを見ると「節電しろよ」とか思ってしまう、ロマンチックぶち壊しなタイプなのですが(笑)

さて。
そういうわけで。年末ということは。今年もこの時期がやってまいりました。
今年一年間に読んだ本の中でのベスト3を発表いたします!
毎年のことではございますが、本当に選ぶのが大変。3冊に絞るの、つらい(笑)
うんうん唸りながら選びました結果がこちらです。

「今年の3冊2016」
若木未生『ゼロワン』
村上春樹『職業としての小説家』
皆川博子『開かせていただき光栄です』

以上の3冊でございました。
今年は去年より読破数が少なかったのですが(実はこの年末に怒涛の追い上げをしてるんだけど)、心揺さぶられる本にとにかくたくさん出合えました。
『ゼロワン』は、「お笑い」の世界のお話。登場人物たちを自分に重ねて読んでしまった部分もあるのですが、後半にいくにつれそれは薄まっていって、ただただ、「死を背負って笑いを取る」ということの切実さと狂気が胸に迫るのを感じていました。
『職業としての小説家』は、村上春樹が「ちゃんと人間だった」とうことがわかる、というのが一番のポイント(笑)でも、だからこそ「そうはなれない」という絶望感も深まりましたけど!
『開かせていただき光栄です』はもう素晴らしかった。ただただ素晴らしかった……。ミステリーとしても人間ドラマとしても一流です。
『屍者の帝国』、『聖の青春』、『紙つなげ!』なんかも入れたくて迷ったんですが!
とにかく、良い本をたくさん読むことができた一年でした。



さて、次に。
先日12月16日に締め切らせていただきました、カヤへのオススメ本をご紹介いたします。
オススメしてくださいました皆様、まことにありがとうございました!
今年のオススメ本は以下のようになってございます。

安部公房『砂の女』 (新潮文庫 2003) 
大江健三郎『死者の奢り・飼育』大江健三郎 (新潮文庫 1959) 
ジャンニ・ロダーリ『猫とともに去りぬ』(光文社古典新訳文庫 2007) 
村田沙耶香『コンビニ人間』 
華恵『本を読むわたし』 
ほしよりこ『逢沢りく』

以上六冊を、2017年に読みきる目標とさせていただきます!
ちょっと、もう、すでに今からわくわくしています。大江健三郎、時間かけて読みたいですなあ!
上記の6冊以外にも、自分でいくつか目標を設定したいなあ、と思っているので、またそれは後日!

本の感想など

現在、当ブログでカヤへのオススメ本を募集しております(12/16まで)今年はどんな本がオススメされるだろうかと大変楽しみです。
昨年オススメしていただいた本も、大変興味深いものばかりで、何度も申していることではありますが「オススメしてもらえなかったら読まないまま一生を終えていたかもしれない」というような本もありました。やはり定期的に、人からのオススメを聞いておきたいものだなあ、と思います。
と、いうことで。折角オススメしていただいたのですし、今年は昨年に比べて冊数も少ないですから、今年読んだ(昨年オススメされた)9冊の中から2冊ピックアップしまして、簡単に感想のようなものを書かせていただきます。

諸田玲子『楠の実が熟すまで』
骨太なストーリーと、しっとりとした情緒が見事なバランスで描かれた時代小説でした。
女隠密、という設定に心をときめかせつつ物語を追ったのですが、その設定から想像される大げささ(アクション的な意味で)は微塵もなく、丁寧に出来事を辿らせてくれました。
なにより、京ことばの雰囲気のよいことといったら!
艶も倍増なら、恐怖も倍増でした。
諸田玲子の作品はこれまで読んだことがなかったのですけれども、これから少しずつ読んでいこうと思います。



姫野カオルコ『終業式』
すべてが手紙で進んでいく、いわゆる書簡型小説。
手紙のやり取りが頻繁であっても違和感のない時代設定と人物設定で、なるほど、と思わされました。
自分が体験していない時代のことのはずなのに「あいたたたた!!!」と痛い気持ちになることも多々あり……(笑)
物語を読む、というよりは、登場人物たちの人生を覗き見しているような気分で、まさしく、「ひとの手紙を読んでしまった」という感覚を味わいました。
よくできた小説、という言葉は褒めているように聞こえないので個人的には好きではないのですが、まさしく、よくできていたと思います。
「出せなかった手紙」もいくつか含んでいるところが、また!唸ってしまいました!
姫野カオルコも、名前だけは知っていて読んでいない作家さんだったので、今後ほかの作品も読んでみようと思います。



こうして簡単に感想を書いていくと、やはり私はまだまだ読書量が足らないなあ、と思うわけでありまして。
何に比べて足らないのかってことではなく、「もっと読みたい」ってことなんですけどね。
そのへんのところももうちょっと自分で考えを深めつつ、来年へ持っていきたい次第でございます。

皆様のオススメ、引き続きお待ち申し上げております。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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