2018-06

愛についてとかそんな大層なことではないけど

いまさらわざわざ書くことでもないかもしれませんが、映画が好きです。
このブログにも、たまにガッツリ感想を書いていたりしますが、本当はたまに、じゃなくて観た映画すべてについて書きたいところです。これは読んだ本についてもそうだけど。
なかなかそういうマメなことができないでおりますが、今年はかなり素晴らしい洋画をたくさん観ることができまして、かなり豊作な年だな、と思っております。
記事にもしました「グレイテスト・ショーマン」も良かったんですが、それ以上によかったのが「シェイプ・オブ・ウォーター」と「君の名前で僕を呼んで」の2本です。
「グレイテスト・ショーマン」がかなり万人受けする映画だったのと対照的に、この2本は観る者を選ぶ、というか、観た者の中に秘められている繊細な部分を刺激するというか、そんな繊細でいてしかしとてつもない力強さを持っている、そんな作品でした。
どちらも、愛の物語でした。
甘いラブストーリーかというとそうではなく。
「シェイプ・オブ・ウォーター」は声の出せない女の人と、人ならざる水の生き物との愛の物語。
「君の名前で僕を呼んで」は夏の間に出会った少年と、青年の、愛の物語。
どちらの映画も「一般常識から見た場合のある種の禁忌」をはらんでいて、よくある男女の恋愛とは違う切なさと喜びが描かれていました。
※この「一般常識から見た場合のある種の禁忌」という表現についてはいろいろ思うところがありますが脱線するので今回は語らないでおきます。
男女でなくとも、人と人でなくとも、愛は生まれるし愛し合えるし、そもそも「できるできない」の問題ではなくて「そういうものなのだ」と差し出されていました。これは私にとって言葉にしつくせないほど嬉しいものでした。
男女で愛し合って結婚をすること、子供を生むこと、家庭を持つこと、それこそが幸せというものなのだ、と考える人は、いまやそう多くないのかもしれません。しかし、この考えに苦しめられた人は、いまだ多くいるのではないかと思います。かくいう私もそうです。この考えを否定する気はありませんが、私の未来には馴染まないような気持ちが、ずっとしています。
上記の2本の映画は、幸せの定義とか蹴飛ばした愛を見せてくれたように思います。見せてくれた、というより「見せつけられた」感が大きいかもしれませんが。ともあれ、私はこの2本を観て、私の、幸せの定義への馴染まなさがそっと肯定されたような気がしたのです。
ただ、性別や種族を超えてはいても「触れ合う」ことは必須なのか、と思うと、まだ、私の考える「愛というもの」にぴたりと合う作品はないように思います。(おしいものは過去にもいくつかあったんですが)。
つまりそういう作品、自分でつくれ、ってことか。
性別も、種族も、有機物も無機物も、接触することすら超越した愛について、きっと私はいつか自分の手で語っていかなければならないのだろうな、と思っています。
今回はそう大仰なことを書くつもりがなかったので、こういう中途半端なところで申し訳ないですが終わりにします。
いい歳をして、いつまでも思春期の頃のようなことを言っているなあ、とは思いつつ。いつか自分の愛を語るために、いろんな愛の話を、これからも観たり読んだりしておきたいです。


お引っ越しをします

バタバタと季節が移り変わってきてしまいました。
GWにはゲーム会社のイベントに参加させていただいたり、文学フリマ東京へ参加したりと、あらゆるところで様々な方にお世話になりました。どれもとても楽しかったです。本当にありがとうございました。

さて。
本日はひとつ、ご報告がございます。
わたくし、産まれてから今までずっと、愛知県(主に名古屋)で暮らして参りましたのですが、このたび関東の方へ引っ越しをすることと相成りました。職場を変わることになったためでございます。7月には、引っ越し先で過ごしていることと思います。
昨年12月に更新したエントリーに「夏ごろに環境が変わるかもしれない」と書いていたことを覚えておられる方はおそらくいらっしゃらないと思いますが、昨年の秋冬頃からいろいろと考え、行動をしていたのでございます。
わざわざ深刻ぶって報告するようなことでもなく、「へー。転職と引っ越しかあ」と思われる方がほとんどでしょう。もちろんそれで結構でございます。ネット回線さえあれば、どこでこのブログ書いていようと特に変わりはありません。どうぞこれからも変わらぬお付き合いをよろしくお願い致します。
しかしながら実は、私にとってはわりと大きな決断であり、変化であったのでございます。
この先どうやって書き続け、生きていこうか考えた末の結論となりました。
今年はなかなか書けない「自分の内面」や「プライベートなこと」を少しずつ書いていくことを目標のひとつにしているので、このあたりのことも、ちょっとずつ、書いて行けたらいいと思っています。

名古屋でお世話になった皆さま、本当にありがとうございました。これからも仲良くしてくださると嬉しいです。
関東の皆さま、お邪魔致します。どうぞよろしくお願い致します。

引っ越しの準備でしばらくバタバタしそうです。引っ越しに慣れていないので、また何か新しくて面白い出来事も見つかるかもしれません。
そしたらまた、書きたいなあと思います。

楽しみにするということ

今年の、二月三日の節分の日。
我が家の近くにある観音寺には、毎年この日に露天が並びます。
どて味噌や串カツとともにビールを売る屋台、りんご飴や焼きそば、ビニールでできた鮫やワニを釣らせるタイプのくじ引き屋台……、そんなところが定番でしょうか。
小さなころは、その中から何を買ってもらおうか迷ったものですが、今となってはそれらの前を巡るだけでおなかいっぱいになりそうで、特に買って食べることもしませんでした。
そんな中にひとつ、私の心を大いにくすぐる屋台が。「生姜の砂糖漬け」の屋台でした。
「生姜の砂糖漬け」「生姜糖」、とどの呼び方が正しいのかわかりませんが、とにかく、薄くスライスした生姜に、きらきらと砂糖のまぶしてあるお菓子です。大好きなお菓子なのですが、私の住む地域ではあまり売っているところがありません。そしてわりと値の張るお菓子です。
それが山にしてあって、甘栗の袋のような、赤い紙の袋詰めにされて売られていました。小袋500円、大袋1000円。グラム表示などはもちろんなし。
ほしい、と思って、小袋の方を買いました。いっしょに歩いていた母は「買うの?」と呆れたように笑っていました。
露天で売られているお菓子というのは割高なイメージがありますが、家へ帰ってみてみると、袋の中には生姜がたっぷり。食べてみると、生姜の薄さといい、砂糖のかかり具合といい、絶妙で、とても美味しく、かなりいい買い物をした、と喜ばしくなりました。呆れていた母も「ちょうだい」と食べては褒めていました。
そもそもそんなに一気に食べられないお菓子だ、ということもありましたが、露天で買ったものはなくなればそれで「おしまい」。また同じところに買いに行けるわけではありません。少しずつ、少しずつ惜しむように食べて、全部食べ終わったのは、ちょうど一ヵ月後、ひな祭りのころでした。
ネット販売とか探したら、安いものも取り寄せられるんじゃないかな。探してみようかな。
生姜が少なくなっていくにつれて、そんなことを考えていました。
「生姜、なくなった?」
ときおり私の部屋に来ては、「まだある?」と訊いて少しずつ持っていっていた母が、訊きました。なくなったよ、と答えると「そうかー」と残念そうにして「私も買えばよかったなあ」なんて言ってから、にこにこ笑いました。

「また、縁日があるといいね」

あっ、と、思いました。
ネットで取り寄せようか、と言おうとしていたのに、それはすっと引っ込みました。
ネットで取り寄せてしまえばきっと、もったいない、と少しずつ食べるようなこともなくなるかも、と思うと、生姜の美味しさが半減するような気持ちがしました。
楽しみにすること。
惜しむこと。
それは、昔はもっとちゃんと味わえていたもののような気がします。
それこそ、たくさんの屋台の中から、ひとつだけを選ばなければならなかったころに。
うん、そうだね、と私は母に笑いました。

来年の節分が、楽しみです。

お恥ずかしながら読んでいませんでした日記⑥ 『ドラコニア綺譚集』

まだ、シーズン1(2017年)です。一応、自分のために冒頭に記載させていただきます。なんせ、自己満足企画ですので。

ということで。
澁澤龍彦『ドラコニア綺譚集』を読みました。
実は目標を立てる段階では『エピクロスの肋骨』の予定だったのですが、変更しました。
とにかく、「澁澤龍彦を何か読みたい」というのが目標だったのです。
恩師の敬愛する文学者が澁澤龍彦である、ということもあり、学生時代から随筆などをバラバラと読んではいたのですが、何か一冊読み通したことがなく、これは非常に良くないぞ損をしているぞ私は、とずっと考えていたのであります。
昨年秋に世田谷文学館にて開催されていた特別展「ドラコニアの地平」を見て、これはやはり『ドラコニア綺譚集』を読まなければならないのでは?と思い、手に取ったわけです。
で。読んだ、んですが。
いやぁ……、これは……、なんというか……、なんとまあ広大なフィールドにして中身の詰まり過ぎた引き出しか、という……。
ひとつの項目についての知識やリンク項目の提示もすごければ、そんな紹介的なことと同時に個人的な思い出に結び付けて叙述もする、そしてそれがひとつとして「は?何の話やねん」にならない。
なにこれ、ずっるいわぁ……。と、読みながら何度も言ってました私。
なんつー贅沢な書き方だろうか、と思って。しかしそれはつまり、贅沢な書き方が許されるだけの知識と文章力を持っているということに他ならず、それを持たない凡人がズルイだなどと言う資格はないのですけれど。
そういうわけで、面白い、という単純な理由も含め、あらゆる意味合いからもだえつつ読みました。スポンジ状態のすかすかの私の脳に、圧倒的な知識と完成がぐんぐん叩き込まれるこの恐怖と快感よ!
読む側でありつつ、私もいつかカヤウルク綺譚集とか書いてやるぜ、と妙な決意を芽生えさせたりしていました。(実現するかどうか微妙)
何を言いたいのかわからなくなってきましたが、とても大好きな一冊になったことは間違いありません。
好き勝手書きましたけれども、澁澤龍彦ファンの皆様、どうぞ澁澤ビギナー読者の戯言とお思いあそばしてお目こぼしいただけたらと思います。
どうも、澁澤龍彦ファンは熱狂的な方が多くていらっしゃるという印象を持っているカヤです。先に述べた恩師しかり、なんですけれども。その恩師のエピソードも機会があれば披露したいところです。

さて。
これにて、シーズン1の「お恥ずかしながら読んでいませんでした日記」は完了となります。
次からシーズン2です。なお、まだひとつも読めていません。カヤの挑戦はここからだぜ。
完全なる自己満足企画にお付き合いいただけるという方は、どうぞよろしくお願いいたします。

お恥ずかしながら読んでいませんでした日記⑤『倫敦塔』

2018年になってもう二か月経過していますけれども、こちらの記事はまだシーズン1、2017年度のくくりになります。
まあ、その区別してるの私だけなのでなんだっていいんですけど。

と、いうことで。
夏目漱石『倫敦塔』を読みました。
夏目漱石を敬愛していることを公言しているわたくしとしましては、これを読んでいなかったというのは非常に恥ずかしいことなのでございますが、ここは恥を忍んで白状しておきます(そもそもそういう企画ですからね)。
今更でも何でも、読んで良かったと思います。
本当に。
きっと説明の要はないと思いますが、一応。『倫敦塔』は、漱石のイギリス留学中の出来事をもとに、イギリスの歴史を幻想的に描いた作品でございます。
夏目漱石の作品の、情景描写はここから端を発しているのだと思いました。写実的なのに、どこか夢みがちな表現(だと私が、思っているだけなのですが)は、この幻想性を根っこにしていたのだなあ、と。
そうした、幻想的な表現の美しさももちろんこの『倫敦塔』の魅力であるに違いないのですけれども、私が一番ときめいたのは、漱石先生の照れが、作品中、多分に見られることです。
想像してみる、想像してみる、としつこいくらいに繰り返して書いているのも可愛いし、その上でなお作品の文末に「これは想像だからそのつもりで読んでね」と書いちゃってるのも可愛い……。
たぶん、本当は照れとかじゃなくて「俺、本当にこんなの見たわけじゃないから!!俺、やべーヤツじゃねえから!!」って言っておく必要があったのかな、とは感じるものの、それでも、私は照れに見えてしまってニヤニヤしました。
ジェーン・グレイについての記述は、個人的にちょっとタイムリーでした。『怖い絵展』が話題になっていたこともあって、ちょっと興味を持って調べていたところだったので。西洋史をもっと勉強すべきだよなあ、と思っています。
なお、私が読んだのは、新潮文庫の『倫敦塔・幻影の盾』に収録されているものです。
まだ一冊読み切っていないので、ちょっとずつちょっとずつ大事に読み進めようと思っています。

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プロフィール

紺堂カヤ(華夜)

Author:紺堂カヤ(華夜)
文筆家。
日々悪戦苦闘、ただしマイペースに。
文学と声をこよなく愛する。
二つ名は「筆舌破天候ガール」
創作サークル「つばめ綺譚社」にて小説を書いています。
また、クラウドゲート㈱のWTRPG「ファナティックブラッド」にてシナリオをリリース中。

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